mercredi, avril 12, 2006

la chaine 01

:含意のパラドックスとは:
“qは真である.したがって,pを仮定するなら,qは真である.よってpならばq”という推論が,おかしいこと.その理由は,すでに真であることが分かっているqを導出するのに,つかう必要のない仮定pを導入し,仮定的世界を作っているから.

:条件文が偽になる:
もし,条件文の前件と後件の真理値決定が事実に基づいて独立に行われたら,前件が真で,後件が偽という場合が生じてしまうかもしれない.その時条件文全体は偽となる.それじゃあまずい.普段,こうした状況が起こらないために,どうしているのか.
推論の連鎖の中で,前件pは実際に,条件文を作るときの歯止めとしてはたらく.後件に偽であるものが来ないように,規制をかけている.
条件文を作る時に,前件pをもとに,「前件がこうだということは,後件にこれがきたら偽になってしまうから…」というような推論が行われ,調整が行われ,実際にできる条件文は「pを仮定すると,qは真」というものになる.(条件文と推論という概念をわけて考えること)

しかし,「もしあなたがノーマンに会いたいなら,彼はグランドホテルにいます」のような文においては,そんなことは起こっていないのでは?なぜなら,前件と後件は無関係だから.つまり,ノーマンに会いたかろうが,なかろうが,かれは,ホテルにいるのだ.前件が真でも,偽でも,後件には何の関係もない.ということは,これは,前件をもとにした推論をもとに後件を設定する,という説明の反例になるのでは??

しかしこれは,「疑似条件文」である.「pならばq」ではなくて,本当は「pならば,qであるから,r」という構造なのである.「ノーマンに会いたいなら,彼はグランドホテルにいますから,あなたはノーマンにグランドホテルであえます」ということだ.「pならばr」という条件文と考えれば,qをもとに推論を働かせ,rという後件を導いたと考えることができるだろう.
ではなぜ「pならばr」ではなく,「pならばq」という形をとるのか.それは後述の語用論的要因による.(語用論的要因というブラックボックスだ…)

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