jeudi, novembre 30, 2006

メモ

日 時  11月30日(木) 15:30〜17:00
場 所  上智大学 中央図書館 8階 L-812会議室
テーマ
二つの言語
−チョムスキーと後期ウィトゲンシュタインの言語観の関係について
講 師
鬼界 彰夫
使用言語
日本語
その他
申込不要、参加無料
問合せ先
上智大学 外国語学部 言語学副専攻 ℡ 03(3238)4107
 

jeudi, novembre 23, 2006

evnine.02

1. 4.
・心的性質を他の心的性質に関係づけるような法則は存在しない.心的なもの,規範的性格と全体論だってことは1. 2.で見た通り.
・心理学は科学じゃネーーー.と主張している.なんでか.ある心的性質を他の心的性質に関係づけるような法則:心理法則は存在しないとdは考えるから.
・なんで心理法則は存在しないと言えるのか.それは,規範的性格と,全体論的性格をもつからだって.
・つまり…「もしある人の信念と欲求のすべてを個別的に相互に独立に規定することが可能だとしたら,科学的本性を備えた心理的法則を手に入れることもできるだろう.しかし,心的なものの全体論,規範的性格のゆえに,これは不可能なのである」ふうううううううううむ.わかったぞ!!!こういう理由で,dは心理法則はムリと主張する.

evnine.01

1. 2.
・例えば,ジャングルに迷い込んだあなたが,言葉も,何も分かんない部族に遭遇して,殺されたり,つれてかれて何かされないために,敵だと思われないために,こいつらは何を話している?何をしている?何を考えている?ということを必死に探るときにやっていることを:根源的解釈.と呼ぼう.

・根源的解釈:①規範的解釈にしたがって進む.あと,②全体論的に進む.
・規範的原則:「フツーーーはこうだよね」ってことをしろって話.
・根源的解釈が規範的原則に従わなきゃなんないというのは「まあこんなおかしなことはやんないでしょう,ぐらいの想定を,フツーの想定をもって根源的解釈をやれ」ってことだ.
・信念を持つことそれ自体,もう規範的法則に従うことを意味する.
つまり,信念を抱いている限りにおいて,明白な矛盾をあえて信じたりとか,そーゆー類いのことはしない.
「ある生き物が命題的態度(信念)を持つなら,その生き物はほぼ合理的なのだ(essays on davidson:action and events1985)」dのかなり強固な主張.
・ある人に「こいつはこういうこと考えてるな」と,ある信念を帰属させる.それはなんでやるか.それは,「こいつがこう考えてると想定すると,なるほどこいつのとってる行動にうまくつじつまがあうな」てのがあるからである.こーゆーことを我々はしらずしらずやっている.こういうふうにして,心的状態が他の行為を正当化できるのだ.

②全体論的とは:
たとえば,相手が「突然踏み込んで来た俺に対して怒っている」と考えると全くつじつまの合わなくなるような行動をとり始めた(やさしく服を着せてくれたとか).でもだからって「こいつはおこってないんだ」と考える必要はない.他のとこに変更を加えれば,依然としてこの「怒っている」という信念を相手に帰属させ続けることができる.他に何らかの信念をもってたのかもしれないじゃんね.たとえば,「ほんとは怒ってたけど,俺をだまそうとしていた」「服を着せるのは生け贄のための儀式だった」とかね.ある証拠をもとにひとつの心的状態を指定して否定するのはむり.帰属させた信念の全体がさばきにあう(クワインのホーリズムと全く同じ).
「心的状態の帰属はまとめて行うしかない」と言っている.

lundi, novembre 20, 2006

覚え書き

ジョゼフ・コスースという作家が写真と実物と言葉の「ショベル」を展示する
これがデュシャンの系譜だとは どーゆーことか?
あと この作品の主題はウィトゲンシュタインが
『探究』Ⅱのあるところでいってることと
ゼッタイすっげーカンケイしてるのだが
どーカンケイしてるのか
すっかり忘れちまった!


「ドナルド・デイヴィドソン(経過の理論.根源的解釈.寛容の原理.等)とデシベルエレクトロ」
「生成文法にもとづいた言語分析の哲学的意義」


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コムデギャルソン→鷲田清和

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