vendredi, juin 30, 2006

la chaine 05

1. 彼は毎週金曜にシンゴスターにいく.
2. しかし,今日は金曜であっても彼はシンゴスターにいかない.
なぜなら,今日は店が休みだから.

最後の「なぜなら今日は店が休みだから」は,1.の条件文が持っていた暗黙の前提を破壊する文である.
言い換えれば,1.が持っている言及世界とは異なる世界を構築する役割を果たしている.
その時,1.の言及世界において保証されていたpとqの関連は,もはやない.そのためpとqのことについて述べるのには何の妥当性もない.しかし発話者は,それまで存在していたpとqの関連への「思いが捨てきれない」,関連を「忘れることができない」(pとqは関連がある,しかし足りないことがあったのだ,と考える).
そして「pであってもqではない」と発言する.

譲歩「pであってもqではない」
それまで抱いていたpとqの関連についての信念を否定するような事実があり,そのことは事実として認める,しかし,もと抱いていたそのpとqの関連についての信念を捨て去るには忍びない,という話者の思考が現れたものである.
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では「pであってもqだ」はどうなるか?
考え:もと前提されていたことが「pならば¬q」で,そうじゃない事実があって,それを受けても,話者はpと¬qの関連についての信念を保持したままなので,「pであってもqだ」と述べる.

lundi, juin 19, 2006

investigation.7(113)

他人の感情をどうやって知る?がテーマ。

自分の感情は「感じる」、この出発点からいくと、他人のは感じることができないから、分からない、というふうになる。
こうして、感情は「私的な対象」だという結論に至る。
他人のは分かることできない
これを振り払うための議論:LWの強迫観念

他人のと自分ので内容が異なるのか?
そうは考えない、普段交換可能なものとして扱うだろう。

#118
「悲しみを聞く」「悲しみを感じる」前者と後者は概念的に区別できると…
したがっている「論理」が違う、
媒体を通じて感じる:間接的
直接に悲しみを怒りを、見る、聞く。
(見るという行為の直接性について)
本当か??この議論には納得できない。
ある種のレトリック、強く感じたことを言おうとするときに…
実例が示されないと納得できない。

#120
表情を読み取れない人、つまり感情アスペクト知覚不能な人が出てきた。
これはシークエンス8の主題になる。
なぜこれを出してくるか?
これまでのアスペクトより、他者への態度をより含む。(他人の表情だから)
こーユー表情の人に、従ってこーゆー感情の人に、どういう行為をしたらいいか
→それは倫理へとつながる。

“悲しみに対して盲目な人”
生理的に、もしくは論理的に。
意に介さない人もいる。読み取れるが、無視する人。
赤ん坊は生理的にできない。
このひとは、生理的にできないのではなく、
規範を逸脱している、こういう意味で論理的といっている。

今日、ドイツ語で読み始めた。楽ではないが、
向き合っている瞬間、永遠に続けばいいと思う。

dimanche, juin 04, 2006

investigations:6(100)

#100? シークエンス番号6から

:サブシークエンス1:アスペクトの分類を進める

一口にアスペクトといってもいろんなのがある.
そして,原初的な知覚能力さえあればいいヤツと,その人がどんな知識を持っているかに関係してくるヤツがある.
L・Wの興味は後者のアスペクトである.

:サブシークエンス2:107から.様々な知覚概念の「論理」

「見る」という概念の論理.
110. 頂点,底辺というのをまだ知らない子供は,そう「見る」ことが出来ないのか,説明の意味が分からないのか…前者だとL・Wは言う.
ある概念に「精通していること」,それが「見る」ための「論理的」条件(「論理的」=「見る」という概念がもつ論理にてらしあわせて,という意味)
歯痛ー原初的知覚
見るー知識が関係する
(サブシークエンス1で確認されたL・Wの興味にしたがってこのように考えられる)
つまり,「見る」のは,生理的な条件の内側に,よりきつい条件,知識・概念の条件が有る.
(知識によっても見える見えない,あるとしたら,知識によりみてるものが違う…というトマスクーンのような立場への道を開いている….少しいやだ)


:それ,これ,(das)に点が打ってあることについて:
L・Wがそうするのはdeictiqueな用法のときである.anaphoreではないときである.
ここには彼のある確信がある.それはそういう仕方でしか示せないものが存在するという確信.
L・Wの非常に重要な概念:(現実の実践のこと:あまり意味を理解できない)