mercredi, mai 24, 2006

summa.03.7

カルナップアイデアは,必然的的真理=全ての状態記述における真理(状態記述=可能世界の言語相当物)というものだった.
そういう,言語相当物で可能世界を置き換えるのではなく,その可能世界という概念を未定義語として導入したこと:クリプキの業績

可能世界意味論の新しいところ
1. 様相論理の式の真理性は,各可能世界と相対的に評価される
2. 到達可能性:世界w'で真であることが全て,世界wで可能である(真であるとは限らない)とき,w'はwから到達可能であるという(wに変化を施すことで,w'にいける).
3.

必然的な真理,可能的な真理というのも,到達可能性を用いて定義される.
可能世界wにおいて必然的な真理:wから到達可能などの可能世界においても真である真理

必然的にAというような様相的な式の真理条件がこうして定義できたので,あとは普通の論理とやり方同じでいい.

samedi, mai 20, 2006

la chaine 04

「pならばq」といっておきながら,「pかつ〜q」だという可能性も考慮している場合がある.それは何なのか?(日常の条件文に関する様相的性格を認めないとこういう議論はでてこないが.)なぜそのような事態が可能か?

この視点にたち進む.
それで,日常の条件文発話の際に重要なことは,pは単独でqの十分条件になっている訳ではなく.qの十分条件を構成する命題の集合の中で,その時最も言う価値の高い命題である,そして,そのp以外の命題も既に与えられている,暗黙の前提になっているということを合わせて初めて,pはqの十分条件としての資格を得るということ.

演繹定理の例,分かったか.E0は,十分条件となる信念の全体,そんでE1⊃pならばqは,E1という暗黙の前提の上で,pならばqということ.E1は言及世界とも言える.もし,「お湯に手を入れること」が普通な社会だったら,なんかタイにある唐揚げ屋とか?だったら,p(お湯に手を入れる)ということは,わざわざ言うに値しないので,Eのなかに引っ込んでしまう.そんであらたにr(断熱手袋をしない)という命題がコンテクストに合うように,登場してくる.でもそれは,E0⊃qという同一の信念のこと.

「沸騰しているお湯に手を入れれば,やけどする」「なぜ?」という会話があるとせよ.
その場合,話し手と聞き手は,同じような言及世界を構築できていない.
聞き手は「なぜ?」と問い返すことで,暗黙の前提を問いただしている.

などなど.しかし一番上の問題はまだ.この後のようだ.

sans titre

渋々ほりはじめた地下水脈が,思わぬところで
大きな別の水脈にぶつかった気分
もしくはそれはもともと巨大な一つの水脈だったような感触.

vendredi, mai 19, 2006

alex rosemberg. 01

なぜ科学的説明が法則を含むか?
という問いに、因果関係という観点から取り組む。
現象をコントロールし、予測する、
そのことは因果関係についての知識が与えてくれる。
だから因果関係の説明を科学者は求める。
つまり科学は因果関係の説明である。
因果関係の説明は、ある出来事の原因だけを言うんじゃなく、
そこに働いている法則をもいわなきゃだめだと考えられている。
つまり「こういう法則が働くから、この原因から、この結果が生じる」
といった具合に。
ではなぜ法則もいわないといけないか。
それは、因果関係とは、法則に支配された出来事の連続 だから。
ある法則にしたがい、この原因から、この結果が生じるということ。
(言い換えるなら、因果的な出来事の連続は、
一般的な法則の一例となっている)

:まとめ:
科学は因果関係の説明で、
かつ、因果関係は法則に支配された出来事の連続
だとしたら、
科学の説明は法則を必要とする、ということがかなり
直接的に導かれる。


しかし、論理実証主義者たちは
「科学の説明が法則を含む必要性」について
論じたこのような議論を非難した。

それがなんでか???いまいちわかってない。
来週に期待する。

いま、ひとつ思いついたこと!

先生が指導してくる方向とは まったくちがくやれ

様相論理 もしくは「確率論的」な分析というものもある
論文は先生が教えてくれるものとは別に 自分で引っ張ってくる 
それは 条件文を分析しているやつだ 
つまり 山を高くする
そのほうが楽しいでしょう

jeudi, mai 18, 2006

summa.03.6

4.4.3
:スマリヤンのクワイン批判:
確定記述と名前,同等に扱うな!(ラッセル以来の議論).
:クワインの立場:
単称名:名前と記述は分けなくてもいい

:スマリヤンの批判の骨子:
「惑星の数が7より大きいということは必然的である」
これは,
「惑星の数が実際いくつであろうとも,それが7より大きいということは必然的である」
と読めば,偽.
しかし「現に惑星の数が7よりも大きいことは必然的である」と読めば,
これは真だよ!
後者の読みをクワインは無視して,様相の量化はできねーとか言ってるけど,ラッセルの記述の論理からこの振二つの読みが生じることは分かる.記述のスコープの話だ.この記述のスコープを狭くしかとってないクワインは後者の読みを考慮してないと.

:クワインの再反論:
様相内部への量化が意味をなすことを前提とした議論だから,論点先取だと.

:しかし:
様相内部への量化がいけないって,なんでいえんの?クワインの議論に従えばそうなるけど,そうじゃないって前提から出発してんだから.

:それでもやはり:
ではなぜスマリヤンのいうようなスコープの広い読みを採用しなきゃいけないのか.その根拠もない.
しかもクワインにとって必要なのは,狭いスコープの読みが可能だというその事実だけなのだ.狭いスコープの読みがダメだ!という根拠が見つからない限り,クワインの議論は無傷.

:スマリヤンのいいところ:
固有名と,記述を一緒にするな!
:スマリヤンの指摘:
様相的文脈においては,対応する指示対象が存在する場合でも,記述句の論理的振る舞いが,名前のそれとはことなる.つまり,固有名と,記述を一緒にするな!


「純正指示表現」:純粋に指示対象の機能だけを持つ表現.
記述は,そうじゃない.名前はそうであるけれども.
もし,純粋に指示表現なら,様相的だろうがそうじゃなかろうが,代入可能なのでは(つまり指示的に不透明ではないのでは)?

このように純正指示表現を様相の文脈において得られる文が有意味だとするのが「アリストテレス的」であるという指摘はまあいいとして,そのkeyになる純正指示表現なんてあるんですかそもそも?という問題.
ラッセル,フレーゲ…ううむ.

:バーカン・マーカス!:
固有名はtagだと!!かーなり大胆.大胆すぎるのでは??
だってそんなこというと,
1. □(ヘスペラス=フォスフォラス)が真だということになる.「認識論上の身分の違い」はどうなる…?
2. あと,固有名にもSinnがあって,そのSinnていうのはつまり,「夜明けに西の空に見える星」とか,要するに記述なんですよ.じゃあ,記述と固有名,ホントに別れてると言えるんですか?

この反論をやぶったのはクリプキ

summa.03.5

「純粋に指示的な表現」:単称名で単に対象を指示するだけのやつ.
「指示的に不透明な表現」:代入可能性の原理が成り立たない.

:クワインの様相内部への量化に対する批判:
・様相的文脈は代入可能ではない(□(9>7)に惑星の数=7を代入すると変)
・代入可能でない文脈は,指示的に不透明である.
・それゆえ,様相的文脈は,指示的に不透明である.
・指示的に不透明な文脈内部への量化はいけない
(小泉八雲=ラフカディオ・ハーンを知らないと「∃x(xが日本で生まれたのではないことを太郎は知らない)」が,八雲の場合,偽となり,ハーンは真となることがあり得る.これは代入可能性の原理に反する)
・それゆえ,指示的に不透明である様相的文脈内部への量化はいけない

:クワインへの反論:
1. 様相的文脈は指示的に透明だ!
2. 指示的に不透明だが,量化できる!

1.が有力だと見なされるようになった,それはなんでか??言語的必然性が必然性のすべてを尽くすという考え方が捨て去られたからです.

クワイン:指示的に不透明な文脈はなんでも引用のようなものだと,する!指示的に不透明な表現を全て駆逐すること.それがクワインの目標.

:結局クワインの様相論理批判とは:
必然性=分析性という考え方をとる限りにおいては,様相的文脈内部に量化を施すことは無駄だというクワインの批判は成功する.
でも,分析性=必然性じゃないとしたらどうなる?

summa.03.4

量化理論に様相を導入すること,できるんすか?その批判の最たるもの,それはクワインによるものである.
カルナップの仕事を批判するクワイン.

(なんでカルナップはそっち(様相)に行こうとしたのか,それは,タルスキの仕事のせいで,純粋な論理的構文論ではイカン!という認識を得たから.意味に言及=様相へのコミット).

クワインがなぜカルナップを認めないか,それは,彼が様相論理を考えるさいに,「分析性」と「必然性」を等置しているから.
そのいみではクワインは正しい

カルナップ:「規約」が論理や数学の基礎を与えると.論理実証主義だ.

jeudi, mai 11, 2006

sans titre

形式の意味に文脈がintegrateされてるって考え方を採用するなら、形式の意味と語用論的要因を分ける考え方の問題点が把握できていないといけない。


あした、先生の1人に大学院のことを言え