mardi, septembre 19, 2006

investigations.7(130)

#130-131
1. 見る
2. アスペクトを視る
3. 考える
4. 驚く

1. 4. 意識的にコントロールできない部分がある
2. 3. 意識的にコントロールできる

3. 4. 2. 焦点的な意識の対象がある

2. ≒見る+考える となんども言われる
それは焦点的だが、しかし「考える」(i think that...命題知)のようなやりかたで意識を焦点化させているのではない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ではなんだというのか?よくわからない。

#133
アスペクトが多義的であること。
私たちがある対象の多義的な性質を知覚する、というとき、たとえば、ウサギ・アヒルの図について、「ウサギに見える」というときを考えよう。(=アスペクト知覚の際起こっていることのLWによる説明)

「ウサギに見える」というのは対象にウサギの性質があるのではない。
対象と、今まで見たウサギ、ウサギの写真、などを頭の中で結び付けている。
ある対象に、何かのコンテクスト(背景・周りの状況)を読み込んでいる。
そうしてできた対象と「ウサギ」のつながりを知覚している。

アスペクトがあり、それをみるのではない。あるモノとほかの概念を結びつけること、それが本人にはアスペクトとして浮かんでくる。

コンテクストを読み込み、対象をあるほかのものと結びつける(ウサギ…)
それが「見え」として本人に浮かんでくる。
(気づかないためアスペクトが先に存在するように感じてしまう)

これはLWの好きな考え方だ。規則に関する考え方:規則がありそれに従うのではなく、何か習慣的にやること、繰り返すこと、いつもやること、それが次第に規則として抽象的に取り出されてくる。

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