lundi, juin 19, 2006

investigation.7(113)

他人の感情をどうやって知る?がテーマ。

自分の感情は「感じる」、この出発点からいくと、他人のは感じることができないから、分からない、というふうになる。
こうして、感情は「私的な対象」だという結論に至る。
他人のは分かることできない
これを振り払うための議論:LWの強迫観念

他人のと自分ので内容が異なるのか?
そうは考えない、普段交換可能なものとして扱うだろう。

#118
「悲しみを聞く」「悲しみを感じる」前者と後者は概念的に区別できると…
したがっている「論理」が違う、
媒体を通じて感じる:間接的
直接に悲しみを怒りを、見る、聞く。
(見るという行為の直接性について)
本当か??この議論には納得できない。
ある種のレトリック、強く感じたことを言おうとするときに…
実例が示されないと納得できない。

#120
表情を読み取れない人、つまり感情アスペクト知覚不能な人が出てきた。
これはシークエンス8の主題になる。
なぜこれを出してくるか?
これまでのアスペクトより、他者への態度をより含む。(他人の表情だから)
こーユー表情の人に、従ってこーゆー感情の人に、どういう行為をしたらいいか
→それは倫理へとつながる。

“悲しみに対して盲目な人”
生理的に、もしくは論理的に。
意に介さない人もいる。読み取れるが、無視する人。
赤ん坊は生理的にできない。
このひとは、生理的にできないのではなく、
規範を逸脱している、こういう意味で論理的といっている。

今日、ドイツ語で読み始めた。楽ではないが、
向き合っている瞬間、永遠に続けばいいと思う。

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