jeudi, octobre 13, 2005

tractatus.01

note

「成立していない事態の場合、それはただ代理物の配列によって表現されているにすぎない。可能的なものがどこか人目につかずあっちの方に鎮座しているかのうような気分は払拭していただきたい。成立していない事態というのは、現実の代理物によって表現される以外、生存場所を持ちえないのである」

2.01 事態とは諸対象の結合である。

事態とは、対象という世界の中にあるもの(じっさいにある。事実)の代替物(像としての言語)を、実際に、結合させることである。それによって、可能な結合の全て、「論理空間」を考えることができる。

「論理空間とは、可能な事態の全て、世界のあり方の可能性として我々が考えられる限りの全てである」
ということは、論理空間の限界を確定すれば、思考の限界を確定したことになります。

論理空間を考えるには、それが、可能性というのを含んでいるから、可能性について考えられないといけないんだけど、この世界には、成立していることしかなくて、成立してないことってのは、この世界には文字通り「ない」のだ。だから可能性を考えるためには、現実の対象を言語で写し取って、それを並べ替えて、可能的結合(いろんな文、つまり考え)を作って、全部を考えてみないといけないのである。

論理形式:「ある対象の論理形式とは、その対象がどのような事態のうちにあらわれうるか、その論理的可能性の形式のことである。例えばある対象aが赤い色をしていたとしよう。対象aにとって赤という色は外的性質であり、他の色を持つこともありえた。つまり〈aは青い〉、〈aは黄色い〉等の事態も可能である。このことを「対象aは色という論理形式を持つ」と言う」

1 commentaire:

pppppeeeee a dit…

objective world をwordsが写真のように映し出す。
word と worldの間に、1対1対応が存在する。一名一物。ウィトゲンシュタイン

logical semantics:心は否定しないが、言葉の意味は世界との関係(つまり真理条件)で記述されなければならない。

objective world-----words:logical semantics

objective world-----construal(mind:in the head)(theories about the world)-----language;cognitive semantics

ということは、心が違うと、おなじobjectでもconstrualがちがう、ということは、synonimeということは、なかなかない、ということは、同じ言語を話しているという保証は、どこにあんのか(飛躍!)…………観念論的な意味論から、どの程度進んだと言えるのか、cognitive semantics. むしろロックとかと共通点ある気がする。直観的にのべる。