jeudi, janvier 12, 2006

summa.03.2

知らなかったこと:指示対象を欠く確定記述に対するラッセルの態度は「on denoting」で初めて変化したわけではなく、「no denoting」をかく直前はフレーゲ的立場を取っていた。「on denoting」でその立場を批判した。

『数学の原理』:何でも存在者に対応
「命題の存在的含意」:フレーゲ的:空な確定記述はSinn(meaning)あるがBedeutung(denotation)ないという立場

新しく知ったこと:指示対象を持たない確定記述の他に、指示対象を持たない固有名の問題があること

表示句は意味論的単位ではない:これが「no denoting」でラッセルがたどり着いた答え
ということは、意味論的関係として残るものは、語とその指示対象だ:そこからの帰結
しかしこの結論では、フレーゲが「意義と意味について」を書いたときの問題へと逆戻りではないだろうか
そうではない

それはpp. 191-192に書いてある
一見すると「スコットは『ウェイバレー』の作者である」という文は「a=b」の形式に見えるが、「b」は表示句であるため、従って意味論的単位を形成するものではない。「b」単独で何かを指示することはない。「表示句「b」のmeaning」は存在しない。フレーゲと同じ枠組みに乗っかっていない。よってp. 191の議論も適応されない。

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