samedi, novembre 19, 2005

tractatus.13

要素命題の相互独立性、これをL・Wはドグマ的に信じている。そこから、『論考』の対象が有限であることも説明できる。つまり、自然数のように無限個のものを捉えたかったら、操作によって構成するのでなければならない(フレーゲ的な関数観とは異なるため)。しかし、操作によって構成したものどうしの間には、内的関係が生じてしまうのである。(例えば、「aは3メートル」という命題は「aは4メートル」と両立不可能、という関係が生じる。「aは3メートル」といったら論理語の働きによらず、「aは4メートルではない」ということを含意)。これは相互独立性に抵触する。だから、構成したもの・無限のもの(具体的には自然数)を『論考』は対象として認めていません。こうして『論考』においては、対象には、存在論的な経験で出会うしかありません。
しかし、相互独立性、それが間違ってるとしたら、対象が有限である必要はなくなる。対象を無限に構成していける。

5.32 すべての真理関数は、要素命題に対し操作を有限回くりかえし適用することによって得られる。
これは真理操作が無限界適用されてはならないという趣旨の発言ではなく、実際問題として、有限回の真理操作ですべての真理関数(命題)は得られる、つまり論理空間は有限だということを表明しているのである。けどねー要素命題の相互独立性を撤回するなら、対象は無限に構成できて、しかも論理空間は有限。しかし操作の「以下同様」によって無限を捉えることが可能だとすれば、論理空間を内側から確定できる。
こうして、不具合は生じない。

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