vendredi, décembre 23, 2005

investigations#8

さらに、「見るの解剖」

#88、89ある「見る」の概念それは見なす(regard as)とにている。しかしそれより、「見る」に近いんだ。「として見る」よりこまかい。「として見えてて」さらに、うわ生きてる!みたいな。

「見なす」それがなんだか分かる限りにおいて、ずっと起こっている。「ああおばさんね…みたいな」
「そのように見る」突然本人そのもののように見える「ウサギが見てるよこれ!斜めうえのほうさ!」って叫んじゃうとき「そのように見てますね」

オバーサンの絵であることには何の疑いもない。
そのとき生きている!オバーさん本人がそこにいるように見えてくるとき、
そこが分かれ目です。
それって、ほんとにオバーさんに微笑みかけられた時の感覚の表現と同じなのか:
(同じになることもあるかな……)。こっちの場合に、何らかの体験をしている。「微笑みかけてる!」みたいな。

ちょい前までは、「見る」「見なす」「知る」の区別やってましたよね。
今度から、広くいえる「見る」(「知るとは区別されるもの」)のときに、
ある種の体験がともなうものを見ていく。

概念=本質とかじゃなくて、「普段使ってる言葉のルール」
「aはxでもありうる」という言語ゲーム(つまり「見なす」から「知る」へと…)をどのようにして覚える?
……L・Wの答えは、「ごっこ遊び」

#99先生は、対象が変化する、といったがしてないんじゃないすか〜これは?
でもいい。これは間違ってたとしてもそこから深い方にいけるやつだ。
単なるテンポの変化がある瞬間からそうでなくなる。
別物に聞こえてくる。アスペクトといえるかな。
同一性をつなぎ止めるのはテーマのメロディかとおもう。

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