samedi, décembre 10, 2005

summa.02

specify:どのようなものか述べる:特徴づける:定義する…。
単称名の特徴づけを「それがどのような存在者を指すかについての考察」から引き出そうとするのは間違ってる。
「単称名とは対象をさす表現である」という感じで特徴づけたとします。
これでオケーにもしなるとしたら、対象ていう概念ももう規定されてるはずですよね。
”そうすると、数詞が単称名であるかどうかは、数詞のさす存在者、すなわち数が対象であるかどうかが、この前もって与えられている対象の判定に照らして判定されることになる”
もう対象が何かってことはさきにあたえられてんだ。そんでそれにてらして、「あ、この数詞のさす存在者(数)は対象をさしてるから、この数詞は単称名だ」とのべるってこと。
これは、数詞が単称名であることから出発して、数が対象であると結論するフレーゲの議論とは逆。

”対象がさすものが単称名であるのではなく、単称名のさすのが対象であるという主張は存在論的カテゴリーに対する文法的カテゴリーの第一義性というテーゼに裏付けられている。
フレーゲも、数詞が文法的には単称名として振舞うことから、数が対象であるという結論を引き出せると考えたに違いない”

もし、自然言語の理論を、述語論理をモデルにして構築しようとしたら、その述語論理の根幹にあってそこからすべてが派生してくる「単称名とは何か」という問題は、非常に重要であらざるをえない。

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